今治の
一笑堂さん
創業 寛政2年 (1790年)
実は、BAIKAの所以になった
「梅花堂」という名の和菓子屋を営んでいたじいちゃんが
戦前•戦後に修業していた和菓子屋さんです。
名物の鶏卵饅頭
今は、こんなに可愛らしい商品も♪
ここで修業をしたという話を何度も何度も聞いていたのに
これまで足を運んだことがなかったのです!
本当に何故なのかわかりません…
8代目店主さんに
おじいちゃんの話を少しお話させてもらったら
もしかして、と
戸棚の中から1枚の写真を出してくださいました。
戦前の一笑堂さん
そして、じいちゃんが!!
若き日のまだ少年のようなじいちゃんの姿に
胸が熱くなりました。
どんな思いでこの時代を生きてきたのだろう。
映画「国宝」を観に行った後だったので、なおさら。
当時の建物は、空襲で焼失してしまったそうです。
この辺りは、焼け野原になったと聞きました。
じいちゃんは、私が小学4年生の時に亡くなりました。
とても健康に気をつけていたのですが
8人兄弟で誰よりも、父親よりも早く68歳でこの世を去ったのは
終戦時、満州からシベリアに抑留され
4年も強制労働を強いられて過ごしたことが
心身に大きなダメージとなり、後に、病に蝕まれてしまったのではないか、と
周囲の皆が言っていたのを覚えています。
今も生きていたら
何日も夜を通して、いろいろな話を聞かせてもらってると思います。
私が幼かった頃、お布団の中で
「八岐の大蛇」の話をよく聞かせてくれてたことが、懐かしい。
じいちゃんの作る和菓子は
本当に特別でした。
